図書情報室
ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害
15/イ
中央公論新社
ギャラリーストーカーとは、画廊で作家につきまとう人のことだ。
作品を発表し今後の活躍につなげる場である画廊で、作家たちはしつこくデートに誘われ、「無料のキャバ嬢」のように扱われているという。中には、性的関係を迫り性暴力に及ぶ者もいる。加害者は画廊や作家にとって顧客であり、キュレーターや大学の教員といった関係者という場合もある。作家の将来に影響力のある人物となれば、被害が表面化しにくくなることは想像に難くない。
本書では、女性作家たちの証言から、ハラスメントや性暴力の実態を明らかにするとともに、美術業界そのものにハラスメントの温床となる特殊な構造があると指摘する。被害者にも加害者にもならないために、ハラスメントの連鎖を止めるために、私たちにできることは何か。共通する課題を認識させ、ゆるやかな連帯へと誘う。
さらば、男性政治
33/ミ
岩波書店
衆議院議員に占める女性の割合はわずか9.9%。なぜこれほど女性政治家が少ないのか。
ハラスメントの問題。家庭責任との両立の問題。女らしさを重視されるジェンダーの問題。要因は様々あるが、それを女性の政治への関心の低さや意欲の欠如などの女性側の問題としてとらえている限り、有効な対策は生み出されない。たとえ女性が政治を忌避する傾向があったとしても、そのような態度を生み出した社会構造にこそ、目を向ける必要があるだろう、と筆者はいう。
男性だけで営まれ、男性だけが迎え入れられ、女性を対等には扱わない日本の「男性政治」をアップデートする必要とその方法を考え、ジェンダー平等で多様性のある政治の実現、誰もが生きやすい社会への道を探る。
世界一やさしいフェミニズム入門 早わかり200年史
05/ヤ
幻冬舎
「フェミニズム」という言葉を聞いて、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか。
ある人は男性を敵視し主張を連呼する女性を思い浮かべるかもしれない。
それらは世間の無理解から来るものであることは明白だが、何故それをイメージさせるのか。
フェミニストたちはマジョリティの抑圧の中で、対話のためのみならず攻撃のために言葉を費やすようになったのかもしれない。
本書はそんな世間とフェミニズムの間にある不幸な溝を飛び越えて、フェミニズムの歴史的な歩みと思想の展開を客観的かつ体系的に理解する事を目指す。「フェミニズム」とは決して隔絶された思想ではなく、我々人類が紡いできた歴史とひとつづきであることがよく分かる。
フェミニズムを“触れてはいけない難しいもの”と感じている人にも、「フェミニズム」入門本として手に取ってほしい。
多様化の大海を泳ぐ現代の私達にとって、フェミニズムの視点は心強い櫂となるだろう。
ウィメン・ウォリアーズ―はじめて読む女戦記―
04/ト
花束書房
有史以来、人類は戦争を繰り返してきた。前線で戦うのも指揮するのも、多くの場合男たち。というのが一般的な認識だが、それよりも多くの時代、文明において、女性も軍隊の標準的な一員として存在し、実際に戦ってきた。本書には誰が、何故、どう戦い、どのような結末を迎えたかが、史料に基づき記される。戦う女は、ジャンヌ・ダルクと神功皇后だけではないのだ。ほとんどが性別故に記録されず、功績を評価されなかっただけで。それは、科学や政治、経済などあらゆる分野で女性の貢献が軽視されがちな今の社会構造に共通する。
現代においても、女性兵士の受け入れは、権利の平等から支持する人も、抵抗を感じる人もいる。女は産み育む性だから戦闘に向かない。男は先天的に女を守るようにできているから戦場に女性がいると士気が下がる。だから、女は戦えない・戦うべきでないという主張には疑問を持つが、著者の言うとおり、誰が戦っても戦争とは醜いものなのだ。感情的にも理性的にも納得のいく回答などないのかもしれない。
荻野吟子とジェンダー平等
YA /02/サ
玉川大学出版部
女性の医師は、現在では珍しくない。しかし、明治の初めの頃まで、女性の医師は一人もいないばかりか、女性が医師になる道も閉ざされていた。そんな中、たった一人で反対する人たちと戦い、重い扉を開けたのが、日本で初の女性医師となった荻野吟子。彼女は、医療活動をしながら、女性差別の解消や女性の自立のために奮闘しつづけた。彼女が医師を目指してから150年の間、多くの女性たちの努力により、着実に女性の自立は進んでいるものの、未だ課題は山積みである。課題解決のためにも、彼女が目指した「ジェンダー平等」に目を向けたい。
姫とホモソーシャル
15/ワ
青土社
著者は、数多くの映画作品における男女の描かれ方について、自己の直感と外部のフェミニズムの言説の両面から対話を重ねている。
例えば、黒澤明監督『羅生門』(1950年)では、性暴力を受けた女性が加害者と自分の夫から蔑まれたため、2人を嘲笑して殺し合わせる。加害者と夫、傍観者の男達、その映画を見た男性批評家達は「男を陥れる悪女」と女性を被害者から加害者に変えてしまう。これが、21世紀には「ホモソーシャル:女性及び同性愛を嫌悪・排除することで成立する、男性間の緊密な結びつき」を描いていると評された。しかし著者は、女性が性暴力をめぐる男女の立場を転覆し、自分で自分を救い出す姿に、監督が女性嫌悪をせずに試行錯誤した痕跡を見ている。
新しい視点を提供してくれる1冊。