図書情報室

私が選ぶ高齢期のすまい活

私が選ぶ高齢期のすまい活

91/ワ

近山恵子、櫛引順子、佐々木敏子/著

彩流社

いつかは高齢者になる。病気やケガをするかもしれない。体が不自由になるかもしれない。そうなった時、自分の思う通りの生活を送れるかどうかは、誰もが不安に感じることだろう。
そこで、“老いる”という個人差のある事象に対し、できる備えを考える。例えば、最期まで自分らしく生きるために必要なサポートは、情報→ヒト→カネ→モノの順で手に入れることが重要だ。長年、高齢者の自立と共生のコミュニティ作りに携わってきた3人による、「私が選ぶ」を実現する具体的なアドバイスが詰め込まれた1冊である。

だったら、あなたもフェミニストじゃない?

だったら、あなたもフェミニストじゃない?

05/ア

アルテイシア/著

講談社

「ジェンダーやフェミニズムの話をしたら面白そう」と思った7人と著者との対談本。フェミニズムとの出会いから性被害、セクハラ、パワハラ、らしさの呪縛、漫画、家族や学校、政治の話などを通して、日常にあふれている性差別に気づかされる。身近な人に起こった事実や実際に起きた事件を伝えることで、自分や自分の大切な人が性被害に遭うかもという想像力を持つことができる。ジェンダーやフェミニズムは自分には関係ないと思っている人も、もしかして自分はフェミニストかもと気づくかもしれない。

どうして「体育嫌い」なんだろう―ジェンダー・セクシュアリティの視点が照らす体育の未来

どうして「体育嫌い」なんだろう―ジェンダー・セクシュアリティの視点が照らす体育の未来

81/ド

井谷 惠子・井谷 聡子・関 めぐみ・三上 純/著

大修館書店

私は「体育嫌い」だ。走るのは遅いし、球技も下手なので楽しめない。だけど泳ぐことは得意で、ダンスやヨガも好きだ。澄んだ空気や自然を感じつつ歩くのも気持ちいい。もしかすると、運動自体は嫌いではないのかもしれない。だとしたらなぜ、「体育嫌い」を自認しているのだろうか。
本著は「体育嫌い」の声を丁寧に聴き、体育に埋め込まれている様々な問題をジェンダー・セクシュアリティの視点から問い直し、「体育嫌い」を生む構造に迫る。体育で主に取り組まれている競技的なスポーツには勝敗があり、能力差が可視化されやすい。男女別に行われ、性別のウェア、到達すべき身体像が理想化されている。そこには差別を生み出す条件がいくつも埋め込まれており、「体育嫌い」は居心地の悪さを感じていると指摘する。誰もが自身のニーズに応じてスポーツを楽しめるようになるために、体育はどうあればよいのか、誰ひとり置き去りにしない体育の未来に向けて、国内外での実践も示しつつ考えていく。

苦情はいつも聴かれない

苦情はいつも聴かれない

74/ア

サラ・アーメッド/著 竹内要江・飯田麻結/訳

筑摩書房

本書の著者サラ・アーメッドは、勤めていた大学内の性暴力、セクシュアル・ハラスメントの苦情を訴えた側の立場に立ち、それらの訴え・苦痛が矮小化されたり、無視されたり、訴え自体を政治的に利用される場面を目の当たりにし、それに抗議する為に教授を辞職した。著者はこれらの経過と同じ境遇にあった人達から経験を聞き取り、組織の制度と権力が苦情を無効化し「クレームで騒ぎ立てて周囲を困らせる人」に押し込めるプロセスを詳細に記述している。読み進めるにつれ、苦情を申し立てた人の苦悩や無力感が読者に重く圧し掛かる。苦情は必ずしも個人間の争いに留まらない。組織に変革をもたらす働きは、常にポリティカルな行為なのだと思い知らされる。それでも困難な経験をシェアして連帯し、苦情の記録を残すことは、変革を求める人々の確かな希望になると著者の決して後ろ向きでない語りが強く印象に残る一冊だ。

女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから

女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから

05/イ

犬山紙子/著

ディスカヴァー・トゥエンティワン

本書は、“母娘関係、性教育、ジェンダー、SNSとの付き合い方、外見コンプレックス、いじめ、ダイエット”等、女の子を育てる上で大切にしたいことを、テーマとして扱っている。
残念なことに、この社会は女性というだけで理不尽な目にあい、傷つけられることが多々ある。娘を持つ著者は、「自身が抱く『女じゃなかったら、なかっただろうな』という痛みを娘には経験させたくない」と思い、まずは保護者ができることを知らねばと、多くの専門家や当事者等に話を聞き、女の子達を守るためにどのようなことが必要かを一緒に考えている。
娘を持つ母だけでなく、子どもを持つ保護者、また子どもに関わる様々な人たちに、手に取ってほしい一冊。

母親になって後悔してる、といえたなら ―語りはじめた日本の女性たち―

母親になって後悔してる、といえたなら ―語りはじめた日本の女性たち―

45/タ

髙橋歩唯、依田真由美/著

新潮社

子ども中心の生活で自分の人生を生きられず、自分が何者かわからなくなった人、母親になった後悔を言えない人、自分が変わらなければと辛い気持ちを一人で抱え込む人は少なくない。本書を通して、後悔を語る母親たちに出会うことで、今「母である」ということに悩みを抱えている人が、共感したり、ヒントを得ながら、自分の生活を客観的に見つめるきっかけにしてほしい。
また、母親が直面する数々の壁には、社会全体で解決する問題もあれば、関わる人が捉え方や接し方を変えることで簡単になくなるものもある。社会で子育てを担っていくことは、一人一人が当事者になるということでもある。母親たちの声に何と答えるか、今、問いかけられている。